床上小哲学|Vol.21〜30 - 静けさが深まる、ふだんの哲学
床上小哲学|The Floor Notes Vol.21〜30
Vol.21|なにも起きない日も、ちゃんと暮らしてる。
特別な出来事がなくても、
カーテンを開けて、湯を沸かして、
床に座ってコーヒーを飲むだけで、
「今日も生きてる」と思える。
Vol.22|自分の気配が残る場所。
ソファに座ったあと、
クッションのへこみが少しだけ残っていた。
なんだか、自分の“気配”まで部屋に溶け込んでいるような気がした。
Vol.23|空が広いって、気持ちも広いってこと。
背中を床につけて見上げた天井。
その先の窓から、今日の空。
家にいても、ちゃんと“空の下”にいるんだと思えた。
Vol.24|朝ごはんを、床で食べてみる。
テーブルじゃなくて、
ラグの上でごはんを広げてみた。
思ってたより“ちゃんとしてた”。
きっと“丁寧”って、場所じゃなくて、気持ちなんだ。
Vol.25|ほんの少しの角度で、世界がやさしくなる。
ローソファに座って、少し背をあずける。
たったそれだけで、
考えすぎていたことが、すっとほどけていく気がした。
Vol.26|たまには、昼寝という選択。
きっちり過ごすことばかりが“よい一日”じゃない。
今日は昼寝を“ちゃんとする日”にした。
床に近い暮らしは、
体の声に、ちゃんと気づける時間をくれる。
Vol.27|季節は、足元からやってくる。
窓を開けて、床に座ったとき、
ふと感じた風のにおい。
カレンダーよりも、
足元の空気のほうが季節の変化を教えてくれる気がする。
Vol.28|読書と座り方の関係。
あぐらでもいい、正座でもいい、寝転がってもいい。
床で本を読むと、
文字との距離も、心地よく選べる気がした。
Vol.29|ソファがあると、休日に名前がつく。
平日と同じような朝でも、
ローソファに座ってからの時間は、
“休日”っていう名前がちゃんとついている気がする。
Vol.30|今日は、今日の“高さ”でいい。
どんなにがんばっても、
うまくいかない日がある。
そんな日は、ソファの低さに合わせて、
“いまの自分”に合う高さで過ごしていいと思った。