床上小哲学|Vol.91〜100 - ただ、ここにいる。それが哲学だった
床上小哲学|The Floor Notes Vol.91〜100
Vol.91|“慣れた高さ”が、呼吸を整えてくれる。
初めての場所でも、ローソファに近い高さに腰を下ろせば、
なんとなく落ち着く。
“高さ”って、実は心のベースラインなのかもしれない。
Vol.92|床にある安心は、誰にも奪えない。
なにがあっても、ここに座れば
ふぅっとひと呼吸できる。
“安心”は、与えられるものじゃなく、帰ってこれる場所にある。
Vol.93|低さが、ちょうどいい。
高くもなく、低すぎもしない。
体と心が自然に“中庸”になる位置。
ローソファの高さって、そんなバランスでできてる。
Vol.94|夕暮れの光は、床とよく似合う。
西陽が差し込むと、部屋の輪郭がふわっと変わる。
ローソファに座る影もやわらかくのびて、
今日が“終わっていく美しさ”を教えてくれる。
Vol.95|「まだここにいたい」そう思える高さ。
気がつけば、もう1時間座っていた。
身体も、気持ちも、
この場所を心地よがっていた。
Vol.96|ふとんより先に、床でひと息。
寝る前に、明かりを落として。
ローソファに腰を下ろすと、
“今日の終わり”に、ちゃんと立ち会えた気がした。
Vol.97|“ちょうどよさ”は、自分の中にある。
この高さが好き、この沈みこみが落ち着く。
誰かと比べない、わたしだけの“いい感じ”。
それを教えてくれたのが、床暮らしだった。
Vol.98|季節が変わると、座り方も変わる。
夏は素足で、冬はブランケットをかけて。
床とソファは、四季とつながっている。
暮らしが、季節と会話してる。
Vol.99|何もない時間が、いちばん満ちている。
静かで、何もしていない。
でも、心のどこかが満たされてる気がする。
そんな時間が、床から始まっていた。
Vol.100|ただ、ここにいる。それだけで十分だった。
ローソファに座る。
呼吸が深くなる。
その場所に“わたし”が還ってくる感覚。