床上小哲学|Vol.61〜70 - 高さが、こころの距離になる
床上小哲学|The Floor Notes Vol.61〜70
Vol.61|沈黙は、音よりも深い。
ふたりで黙って過ごす時間がある。
それが気まずさじゃなく、心地よさになるとき、
その部屋には“余白”がちゃんとあるんだと思う。
Vol.62|“ちょうどいい距離”は、床が教えてくれる。
近すぎず、遠すぎず。
ソファに座る人と、床に寝転ぶ人。
その間の空気が、やさしく揺れている。
Vol.63|眠る前に、座って考える。
ベッドに入る前、
ほんの5分でもローソファに座る。
その“いったん”があるだけで、
眠りが静かになる気がする。
Vol.64|「何もしない」の、ちゃんとした時間。
予定が詰まった日も、
やらなければならないことに追われる日も、
最後に“何もしない”時間をつくる。
それが、今日のバランスになる。
Vol.65|目線を合わせるって、思ってたより大事。
ソファに座っていると、
いつの間にか目線が上からになっていた。
床に座って話すと、
同じ景色がちゃんと見えてくる。
Vol.66|高さがあると、心が離れる日もある。
体の位置がちょっと違うだけで、
心の距離も少し変わる。
そんな日に、床に座ってくれる誰かがいると、
それだけで救われる。
Vol.67|低い視点が、気持ちをほどく。
見下ろすんじゃなく、見上げるでもない。
目線を“ほどく”ように過ごせるのが、
床暮らしのいちばんの贅沢かもしれない。
Vol.68|“大丈夫”って言えない日も、床がある。
言葉にできない日もある。
誰にも頼れないと思う日もある。
でも、床に座るだけで、
少しずつ「大丈夫」に近づける。
Vol.69|ローソファがあるだけで、週末の表情が変わる。
金曜の夜、
ソファに身を沈めた瞬間から、
週末のモードに切り替わる。
何もしなくても“くつろぐ”空気が流れ始める。
Vol.70|居場所って、じつは“高さ”のことかもしれない。
自分に合った高さに座ったとき、
なんだか、ちゃんと“居る”って感じがした。
誰かのそばにいることより、
自分の高さを知っていることが大事かもしれない。