床上小哲学|Vol.1〜10「床に近い暮らし」のはじまり

床上小哲学|The Floor Notes

床上小哲学|The Floor Notes

Vol.1|低さの哲学

高いところばかり見ていたころは、

なにか大事なことを聞き逃していた気がする。

低い場所には、

話しかけられていない問いが落ちている。

Vol.2|座ることは、手放すこと。

立っているときのわたしは、

どこか無理をしていた気がする。

少しだけ腰を下ろしたら、

やらなきゃいけないことが、少し遠くなった。

座るって、

“持ちすぎた自分”をほどく行為だったのかもしれない。

Vol.3|音のしない対話。

「おかえり」も、「大丈夫?」も、言わなかった。

でも、

ローソファに座った高さと、

床に寝転んだあなたの目線が、ちゃんと重なっていた。

あれはたしかに、

音のしない“対話”だった。

Vol.4|問いは、床に落ちている。

何かに悩んでいたはずなのに、

問いが言葉にならないまま終わることがある。

でも不思議と、

ローソファに腰を落としたとき、

ふと、答えじゃなく「問い」が浮かんでくることがある。

それは、床に落ちていた問いだったのかもしれない。

Vol.5|高さを変えると、距離も変わる。

椅子に座ったら少し偉そうに見えて、

床に座ったら、なんだか近くに感じた。

立ち位置じゃなく、座り位置が関係をつくっている。

人との距離も、

気持ちの距離も、

“高さ”で変わることがある。

Vol.6|見上げることは、悪くない。

いつも下を見ているようで、

床暮らしって、実は見上げることが多い。

天井、照明、空の気配。

見上げると、謙虚になる。

見上げると、空がある。

見下ろさない暮らしのなかに、

ちゃんと“上”は残っている。

Vol.7|誰も見ていない姿勢。

誰かに見せるための姿勢じゃない、

ただ“落ち着く”姿勢がある。

あぐらでも、体育座りでも、横座りでもいい。

床に座ると、

“きれいな座り方”より、

“わたしの楽な形”が残っていく。

Vol.8|暮らしは、足元から組み直せる。

部屋の模様替えより、

床の高さを変えたほうが暮らしが変わった。

小さな段差、小さな視線、小さな重心。

暮らしって、

“足元の再設計”だったのかもしれない。

Vol.9|何もしてない、がちゃんとしてる。

予定がない。

やることも決めてない。

でも、

ローソファに座って、

空をぼんやり眺めている時間が、

ちゃんとわたしを支えてくれていた。

「何もしてない」ことって、

“ちゃんとしてる”のかもしれない。

Vol.10|問いは、床から始まる。

何を選ぶかより、

どこから考えはじめるか。

座る場所を変えたら、

出てくる言葉が変わった。

答えが見つかる場所じゃない。

問いが生まれる場所に、

わたしはいたい。